ひでやのぶろぐ

英屋へようこそ!

事実は小説より奇なり。

 

 三十路も脂が乗り始めた(気がしている)昨今、経験値もだいぶ溜まったのか、観る映画にも偏りが見え始めた。

いろいろ劇場に足を運ぶなかに、どうしても、これは…と疲労の溜まるものがむかしよりも増えてきたのはどうしたことか。

結果として鑑賞後の感想は良いんだけども、仕方がないとはいえ、明らかに説明のために作られた(関係性を丁寧に描くとか)場面を我慢しなければならないのがもうしんどい。

そういう場面の多い映画は大衆受けする話題作とは言えど、もう、ちょっとめんどくさい…というネガティブな感想以外湧かなくなる。

いろいろ話題作は観てみるんだけど、これは俺の為に作られた映画だ!!っと思えるようなものは繰り返し繰り返し飽きずに観られるのに、そんなものは、もう一回観てみよう、という気には到底ならない。

そんななか、最近になりまた新しくというか、わたしはわたしなりに、どの作品も好き、実にしっくりくる、というような映画監督を得るに至ったのである。

その名は、クリントイーストウッドタソ。

この監督自身も映画の撮り方の簡略化がウリ(?)らしく、ライティングも自然光。演技も一発撮りがほとんどで、アメリカンスナイパーに至っては、主人公の生まれたての子どもさえお人形さんを使うという始末!(Netflixにあるから観てみて!微動だにしないよ!それでもあんな心動かす名作を汚さないから不思議…。)

そう、細けぇことはいいんだよ!

こんどの「運び屋」も、最初はこんな大人の映画に耐えうるのか…と心配だったものの、「パリ行き〜」で培った、この感動は事実の事件を半ばドキュメントタッチで撮ったからこそあるものなんだ、という、本気で震えた経験を信じて行ってみたらば、正解、実に良かったという。

肩の力を抜いて観られた、ほんと笑った。(予告編の趣が違いすぎる、意外にコメディだった…笑)

なんかあまりにもナチュラルに物語のなかに入り込めるから、リラックスが過ぎちゃって、(靴ももう抜いじゃってるし)家で観てる感が半端なくて、途中で一時停止してトイレ行きそうになったもんね。

そーんな感じで、最近師匠の羽根の下で新しい価値観を得ながら世の中を眺めているうち、だんだんと、映画も「真実味」の迫るものを好むようになってきたのだ。

派手な虚構よりも、現実を。

その現実感は、登場人物ひとりひとりの行動から、こちら側の感情に訴えてくるもの、過去に経験のある心の巡りだとか。

そういうものを師匠は丁寧に掬い上げているから、どーしてこんなに人の気持ちがわかるのか?!と、(ミスティックリバー鑑賞後)尊敬の念にかられていたら、どうやら師匠は瞑想をしていることで有名らしいね。そんなすげーならやってみようかな…。

 

てな感じで、映画鑑賞の世界観が、派手な味つけから地味なものへと、広がりつつある矢先に、この映画と出逢い、ガツンとやられたのでありました。

 

むかしむかし、おバレエ好きの母の影響で、真面目に鑑賞していた(当社比!比較的!)時代もあり、あのときあった舞台で踊るダンサーたちへの熱い憧憬が久々に沸き起こり、そんな感情もなんだか懐かしかった。

絶対的にたどり着けないものへの、否応無しに惹かれる思い。この世に生まれ落ち、虚しくも年月はすでに過ぎ去っており、もはや衰えた状態に完成されたこの肉体ではときすでに遅しの世界。彼らバレリーナたちは幼少期より過酷な環境に身を置き、その道一筋に身体を作り上げてきているわけで、股割りひとつも当然できません身にとって彼らは、光眩しい存在。

ましてやセルゲイポルーニンの生きるウクライナという地は、我が国では計り知れぬほど、そこに住む人間に課されるもの、生き延びることへのストイックさ、ハングリーさは、生半可なレベルではないはずだから、血を流さずに踊っているとは思えないわけで。

その顔立ちの耽美さと美し過ぎる肉体が観ているものを魅了させる舞台の光の世界とは裏腹のように、セルゲイの心に迫り来る過去の生い立ち。

幼少期に一際輝いて魅せた彼の才能を、一流の環境に置くには、家族の離散が必然だった、どうしても必要なものは費用だったから、みんな出稼ぎに世界へ散った。

必死の家族の支援のおかげで彼はあっという間に一目置く才能を開かせ始めた、けれど、それに伴い家族は壊れる。両親の離婚。みんなが幸せになるためにしていたことだったはずなのに、彼が望んだものは失われてしまった、家族のために踊った彼は失意に陥り、意欲を失っていった。

現在の彼が母と対面する場面。

ウクライナうらびれた街並み、線路沿いに佇むふたりの姿が、ドキュメンタリーのはずなのに、何か名作のワンシーンを観るように、映画のようで美しかった。

母と息子の会話は、どこか暗くて、息子は母は僕の人生を利用したと、言葉ではきつく語った。母は息子の前で涙を流した。

 

終盤に流れる踊りはYouTubeで世界中に公開され、話題にもなってたらしい。

どうやったら空中で重力をまるで無視したあんな動きができるんだ…さすがコサックの末裔…(?)と唖然としながらも、惚れ惚れとする。 

 

ラストに両親を招くのは初めての再起の舞台で3人で並んで撮った写真は、過去の子どもの頃の古いビデオ映像と重ねられ、どちらも変わらない溢れるような笑顔で写っていて、それは見ているだけで泣けてくる。

 これがただのドキュメンタリーでなくなっているのは、彼があまりにも魅力で溢れているから、踊る姿がそこにあるだけで感動が生まれる。

Netflixに颯爽と現れ、わたくしが秒で視聴したのは、折しも出来立てホヤホヤだった帯屋町キネマMにて上映されたときに、観てきた人のため息交じりの賞賛の声を聞いていたからだった。

彼の踊り、美しさは肉体も共々、スクリーンで観るべき映画だったといまさらながら遅い後悔をしてる。

 

あ、派手な虚飾よりも、とのたまったくせに、「アベンジャーズ」シリーズだけは、はなしは別でお願いします。