ひでやのぶろぐ

英屋へようこそ!

何とかせねばとは思っていたのだ…!

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一昔前までのわたしには思いもよらなかった、有り得ない事態。信じられないことに、いま、走ってまふ。

狂気の沙汰。

何が楽しいのか分からない、理解不能とまで思っていた「走る」という世界に、ここのところハマっているのです。

それは仲の良い古株と言ってもいい常連さん二名による心無い一言「太ったね」を、申し合わせたわけでもないのに、偶然にも二夜連続で浴びせかけられたことから始まりました。

「ブルータス、お前もか……」と胸を押さえて死にそうになった瞬間、何かが脳内でパチン!と弾け飛んだ、それからはそう時も経たず、イオンのスポーツオーソリティはランニングシューズコーナ前に佇んでおりました。

夜のお仕事、それすなわち、愛してやまないビールを自由に飲酒できる最高の環境、休肝日とはなんぞや?の世界。

しかし、わたしはいま三十路をゆく身、二十代の頃と違ってなにもかもがいままでどおりにならなくなる(と周りから頻繁に聞かされている)お年頃。

代謝の衰えという現実。

いつか、いつかこの怠けが、祟りになり襲いかかる予感にうっすらと怯えていた。

何か、何か予防をはじめていなければならない、このビールタソによるむくみが、後の祭りへと変わる前に(だいたい、太ってんじゃねぇ、たまたまぷりぷりにむくんでただけなんだ!!)対策を打たねばなるまい・・・。

とぴたぴたとぷくぷくにむくんだ我が顔ばせを叩きながら脳裏によぎるのはやはり、「走る」ということ。

「太る」に=イコールでダイエットとして「走る」ということがシンプルに頭に浮かんでいたことと、なによりも今年の正月に箱根駅伝を真面目に二日続けて最後まで観戦した経験とが、突然びゃっと、繋がったのである。

正月2日も営業をしていたころは、昼から仕事に行かねばならず、途中でテレビ観戦を中断しては「いつか最後まで観てみたいなぁ…」と思っていた、その超絶ちっぽけな夢を、今年になって初めて叶えてみたのでした。

ミーハーながらも、箱根駅伝観戦後には個人的にグッときてた「東洋大学」のたすき風のスポーツタオルをポチっており(だって顔立ちがスター揃いだったので。あと小田原中継所で、エースの頑張りでトップ爆走だった青学を一瞬で抜き去ってたすきを渡せれた瞬間が最も心に残ったから。「フレッシュグリーンの風をもろともせず!紺鉄のユニフォームは鋼のごとく!!」というその瞬間に実況が叫んだこのセリフを事あるごとにつぶやいては涙ぐむという奇行をわたしはずっと繰り返していた)、EKIDENNEWSというTwitterでフォローしていたところが出版している箱根駅伝十区を事細かに説明した冊子を読みふけっていたりなど、どっぷり大学駅伝に心奪われていたことなどが、わたくしが数十年ぶりの運動にランニングを選んだことの理由に上げられると思う。

ブルータスによる裏切りに胸を痛めたわたしは考えるまでもなくスポーツオーソリティにゆき、壁一面に飾られる大量のランニングシューズの前で茫然自失していたのでありました。

 

営業時間になったので、続く。

 

〜本日のオヌヌメ図書〜

ぴあMOOK「 EKDEN NEWSのあまりに細かすぎる 箱根駅伝ガイド!2019」

https://www.amazon.co.jp/dp/4835635450/ref=cm_sw_r_cp_awdb_c_hxO9CbNCKDKHV

帯屋町の金高堂にもあるよ!

事実は小説より奇なり。

 

 三十路も脂が乗り始めた(気がしている)昨今、経験値もだいぶ溜まったのか、観る映画にも偏りが見え始めた。

いろいろ劇場に足を運ぶなかに、どうしても、これは…と疲労の溜まるものがむかしよりも増えてきたのはどうしたことか。

結果として鑑賞後の感想は良いんだけども、仕方がないとはいえ、明らかに説明のために作られた(関係性を丁寧に描くとか)場面を我慢しなければならないのがもうしんどい。

そういう場面の多い映画は大衆受けする話題作とは言えど、もう、ちょっとめんどくさい…というネガティブな感想以外湧かなくなる。

いろいろ話題作は観てみるんだけど、これは俺の為に作られた映画だ!!っと思えるようなものは繰り返し繰り返し飽きずに観られるのに、そんなものは、もう一回観てみよう、という気には到底ならない。

そんななか、最近になりまた新しくというか、わたしはわたしなりに、どの作品も好き、実にしっくりくる、というような映画監督を得るに至ったのである。

その名は、クリントイーストウッドタソ。

この監督自身も映画の撮り方の簡略化がウリ(?)らしく、ライティングも自然光。演技も一発撮りがほとんどで、アメリカンスナイパーに至っては、主人公の生まれたての子どもさえお人形さんを使うという始末!(Netflixにあるから観てみて!微動だにしないよ!それでもあんな心動かす名作を汚さないから不思議…。)

そう、細けぇことはいいんだよ!

こんどの「運び屋」も、最初はこんな大人の映画に耐えうるのか…と心配だったものの、「パリ行き〜」で培った、この感動は事実の事件を半ばドキュメントタッチで撮ったからこそあるものなんだ、という、本気で震えた経験を信じて行ってみたらば、正解、実に良かったという。

肩の力を抜いて観られた、ほんと笑った。(予告編の趣が違いすぎる、意外にコメディだった…笑)

なんかあまりにもナチュラルに物語のなかに入り込めるから、リラックスが過ぎちゃって、(靴ももう抜いじゃってるし)家で観てる感が半端なくて、途中で一時停止してトイレ行きそうになったもんね。

そーんな感じで、最近師匠の羽根の下で新しい価値観を得ながら世の中を眺めているうち、だんだんと、映画も「真実味」の迫るものを好むようになってきたのだ。

派手な虚構よりも、現実を。

その現実感は、登場人物ひとりひとりの行動から、こちら側の感情に訴えてくるもの、過去に経験のある心の巡りだとか。

そういうものを師匠は丁寧に掬い上げているから、どーしてこんなに人の気持ちがわかるのか?!と、(ミスティックリバー鑑賞後)尊敬の念にかられていたら、どうやら師匠は瞑想をしていることで有名らしいね。そんなすげーならやってみようかな…。

 

てな感じで、映画鑑賞の世界観が、派手な味つけから地味なものへと、広がりつつある矢先に、この映画と出逢い、ガツンとやられたのでありました。

 

むかしむかし、おバレエ好きの母の影響で、真面目に鑑賞していた(当社比!比較的!)時代もあり、あのときあった舞台で踊るダンサーたちへの熱い憧憬が久々に沸き起こり、そんな感情もなんだか懐かしかった。

絶対的にたどり着けないものへの、否応無しに惹かれる思い。この世に生まれ落ち、虚しくも年月はすでに過ぎ去っており、もはや衰えた状態に完成されたこの肉体ではときすでに遅しの世界。彼らバレリーナたちは幼少期より過酷な環境に身を置き、その道一筋に身体を作り上げてきているわけで、股割りひとつも当然できません身にとって彼らは、光眩しい存在。

ましてやセルゲイポルーニンの生きるウクライナという地は、我が国では計り知れぬほど、そこに住む人間に課されるもの、生き延びることへのストイックさ、ハングリーさは、生半可なレベルではないはずだから、血を流さずに踊っているとは思えないわけで。

その顔立ちの耽美さと美し過ぎる肉体が観ているものを魅了させる舞台の光の世界とは裏腹のように、セルゲイの心に迫り来る過去の生い立ち。

幼少期に一際輝いて魅せた彼の才能を、一流の環境に置くには、家族の離散が必然だった、どうしても必要なものは費用だったから、みんな出稼ぎに世界へ散った。

必死の家族の支援のおかげで彼はあっという間に一目置く才能を開かせ始めた、けれど、それに伴い家族は壊れる。両親の離婚。みんなが幸せになるためにしていたことだったはずなのに、彼が望んだものは失われてしまった、家族のために踊った彼は失意に陥り、意欲を失っていった。

現在の彼が母と対面する場面。

ウクライナうらびれた街並み、線路沿いに佇むふたりの姿が、ドキュメンタリーのはずなのに、何か名作のワンシーンを観るように、映画のようで美しかった。

母と息子の会話は、どこか暗くて、息子は母は僕の人生を利用したと、言葉ではきつく語った。母は息子の前で涙を流した。

 

終盤に流れる踊りはYouTubeで世界中に公開され、話題にもなってたらしい。

どうやったら空中で重力をまるで無視したあんな動きができるんだ…さすがコサックの末裔…(?)と唖然としながらも、惚れ惚れとする。 

 

ラストに両親を招くのは初めての再起の舞台で3人で並んで撮った写真は、過去の子どもの頃の古いビデオ映像と重ねられ、どちらも変わらない溢れるような笑顔で写っていて、それは見ているだけで泣けてくる。

 これがただのドキュメンタリーでなくなっているのは、彼があまりにも魅力で溢れているから、踊る姿がそこにあるだけで感動が生まれる。

Netflixに颯爽と現れ、わたくしが秒で視聴したのは、折しも出来立てホヤホヤだった帯屋町キネマMにて上映されたときに、観てきた人のため息交じりの賞賛の声を聞いていたからだった。

彼の踊り、美しさは肉体も共々、スクリーンで観るべき映画だったといまさらながら遅い後悔をしてる。

 

あ、派手な虚飾よりも、とのたまったくせに、「アベンジャーズ」シリーズだけは、はなしは別でお願いします。

 

ことしのバレンタイン戦。

 

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なぜこの逆輸入版の方が種類も豊富でいて、かつ、本家よりも美味いのか。

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美味しいんです・・・。

(あ、気づきましたかね、後ろにお蕎麦が写っていますね、お察しの通り、昨日のまかないはまさかのダブル麺でしたね。)

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(大将が某店が提供していらっさる蕎麦の新しい食べ方に感激し、さっそく朴李。)

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(冷たい蕎麦だしに、そこにこれでもかと花山椒を浴びせかけ、仕上げに麻婆風味の四川系スパイスを鬼のようにまぶしたものを、卵黄でマイルドに食べる食べ方。これにハマってるんですよー!オヌヌメ!・・・前回記事でお語り申した通り、一流には学ぶべきでございますからね。朴李は学びの一歩!もとい、料理のレシピは人類の財産でございまして、皆で共有すべきものとの考えであります!キリッ)

 

(本題に戻ります。)

麺もじゃっかんこちらの方がライトに感じます、スープも本家よりあっさりとしており、味の深みも複雑さも、断然こちらのほうがクオリティは高いと思われました。

いや、本家を低くゆってるのではないですよ、あの味で育ってますし、大好きな味です、が、あの一本調子なインスタント味に比べて、なぜかこちらの香港バージョンの方がよりこう大人な味わいだなという。

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美味しいのよ。。。

なんと、麺がこちらは幾分細めに仕立てられております。細麺好きにはたまらないご配慮。麺をすすったときに香る八角の風味、牛肉スープも上品でございます。

あらま。

なして日本では売らないのでしょうかね、こんなに美味しいのにー!

 

女の身に生まれながら、無の境地で過ごすには大変いたたまれる、魔のバレンタイン期間。心踊り準備にワクワクするような感覚を失って以来、大丸地下の小袋をさっと殿方に渡せるさりげない女性たちの姿を見ては、あ、ダメだわたし・・・と落ち込む。

機会を機会と捉えることができないこの才能に惚れ惚れしつつ、少しでも自尊心を取り戻そうと思って、去年はブラックサンダーを大量に買い込んで、お店のレジ横に山盛り置いてみました、

まぁ、みごとにというか、ときは龍馬マラソンで盛り上がる時期でございまして、ランナーの女性陣に栄養補給源としてお持ち帰りいただいたという結果に終わったわけで、

絞り出してきたわたしの女子力なぞ所詮はこの程度だったかと、僅かながらに盛り返してきそうだった自尊心もすっかり枯渇し切った、そんな2018年のバレンタインでした。

そういう経緯もありましたから、今年は・・・

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バッチリっ・・・!

見てくださいよ、わざわざ帯屋町のお洒落系ペーパー屋さんまで足を運んで700円もするときめくハート色の小箱を買ってきてねー、わざわざ「バレンタインです。」と書かなきゃ謎のコーナーになってしまいそうな、チョイスはブルボンですよ。もちろん、ブラックサンダー一個の価格に比べ、ひとりがいくら大量に持ち帰ろうとも補充に心苦しくないからという理由もあります、バレンタインにおかしいだろ!という批判はお控えください、エース〇ンさんがバレンタインのチョコレートコーナーの棚に(厳密には通りを挟んでその横にだけど)これでもかと陳列されてるんだもの、バレンタイン用に販売してるのに決まってら!

さあ!2019年バージョンは、去年の失敗点をみごとに活かした出来になってございます。

今年こそは無事に女子力を振りまけそうなので、清々しく二月を過ごすことができそうで安心しています。♥♥♥