コロナとゴジラ
「そろそろブログの更新してあげてくださいね」
とお客様に言われてからはや数ヶ月。
何をそんなに言いたいこと、発信したいことがあったのかと、過去の自分を不思議に思うほど、更新へのモチベーションも失せきってる、
なぜなら、ネガティブなことがらしか思いつかないから。
ブラインドタッチがストレス発散になるのだけれど、書く内容はコロナへの怨みつらみ以外湧いてはきませんで、誰がそんな負の文章を読むもんかと、途中放棄を繰り返してた。
前回は時短営業中だったかな、今度は4度目の緊急事態宣言ですよ。
時短要請が無事明けて、お町の動きが元に戻るのならば、人員をまた集め、繁忙期に向けて準備はしなくちゃならないとかしていたけれど、ここにきて4度目のアレで、本来の繁忙期への準備も中途半端、100%の備えを目指すけれども、実際のところまだまだそれもやり過ぎる感があって。
なんでオリンピックはしていいのにそのほかのことはしちゃダメなんだ。
修学旅行も運動会も我慢してる、旅行も、県外の出張も、知らない土地でご飯を食べることをも、泊まることも、みーーーーーーんなが涙を流して堪えてるのに、なぁーーーーーーーんでオリンピックだけ・・・
あーーーーほら、愚痴にすぐなる。
ダメだ!
飲食店には金融機関からの融資の停止、および酒屋からの酒の供給を停めろ、とのたまった政治家への呪いの言葉しか脳裏に浮かばない、ほんとうにいますぐ政治家辞めてください。
昨年の8月からブログの更新が無いのは、ここを開けばこの調子になるからで、で、結局おんなじことをずっと繰り返してるんだな。笑
何もできないというのがこのコロナの辛さ。
みんな苦虫噛み潰して耐えてる。
だからかしら、なんかもやもやしてるとストレス発散先が思わぬところに当たったりしますよね。
もう映画館の予告編で観た、ゴジラがキングコングに何故か思いっきりぶん殴られてる、爽快な映像が目に焼きついてしまって・・・。
ものすごい勢いでつんのめって走るゴジラの姿やら、大好きな大好きなモスラタソがただの脚の長いきしょい蛾にされてたり、元々の日本版ゴジラのあの悲しい誕生の理由やコンセプトはどこへいった?っていう憤りは拭えないけれど、あのどつきあいは劇場で観ようかと思ってます。
富士山と一緒で、ゴジラとはその佇まいが美しくないといけないのに、ハリウッド版ときたら……
しかし、出囃子と鳴き声だけでなぜか泣けるんですよね、いい発散にはなりそうな気がしてます。
ワクチン接種もうちの従業員はほぼ打てています。
今月中には2回目も終わる。
なんとかこうとかしながら、待つしかないのだな、終わりのときをば。
とりあえず明日はゴジラタソに慰めてもらおう。
なんだかんだで映画に慰みをもらっている。
変化。
なんか、久しぶりに思い出しました、このブログの存在を。あまりにもいろいろとありすぎてしまって、書くきにもなれなかったのでしょう。最後の更新が3月末でした。
あまりにも世の中が変わり行くので、それに追いつけと走ることにいっぱいいっぱいでした。
変わらなくてはならない。
これまでではもういけない。
毎日毎日考えてなくてはならず、落ち着く間もない日々でした。
自粛期間中には、テイクアウトブームに乗っかり、幸いにも仕事といえるほどには動くことはできていましたが、それでも暇に辛い時間が長かったです。
その時間を埋めるべくと思い、常々、いつか必要になるかもしれないから、資格は持っておいたほうが良いかもよ、と云われていた、調理師の免許を取得すべく、10月の試験に向けて勉強をはじめました。
突然5月終わりに思い立って、6月初旬の資格受付期限までに必要書類をかき集め(る最中に、お手伝いをいただいた方ほんとうに感謝しかありません、いつも急でなんかごめんなさい笑)、一年前に買ったっきりほったらかしで本棚で埃まみれになっていた参考書と問題集を引き摺り出してきて、学生時代以来ぶりの勉強をはじめました。
これが意外とおもしろい。
自分の仕事に関係のあることなので、日常的にしていることを深く広く知識として知れるし、範囲は公衆衛生までありまして、感染症対策も重要な問題として登場しているので、このコロナ期には実にちょうどで、なかなかに良い勉強になっています。
(はや3ヶ月経ちましたか。試験まであと2ヶ月!問題集を解いては安心したり絶望したりで不安な日々です。今はもうこれはダメだ!絶対に落ちた!!の時期です笑)
自粛が解除され、人の波も戻りつつあり、(と言ってもまだ「また自粛中に戻ったのか・・・?」と思えるような平日もしっかりありますが)仕事があること、また人と会えることに喜んでいる、その反面、元に戻してはいけない!という心構えで、今まで以上に真剣に、衛生管理に取り組む、新しい生活環境で必死で生きてる毎日です。
本来ならばよさこい祭り1日目であろうはずの日を、ただ何事もなく普通の八月の1日として過ごしているレアな日の久々な更新。
そして今3月に最後に更新したブログを読んでみたら、あまりにもどうでも良いことを書いていて、アホすぎて平和だったね、ってちょっと笑いました。
あの頃にはもうしばらくは戻れないんだよなぁ。
共通言語
いつものようにInstagramで#マラソン女子#走ることが好き#ランニング女子のタグのある系の投稿を舌打ちしながら見ていたときに、#ストレート好き という言葉と出会いました。
なぜなにか女が特別なことをするときに#でわざわざかわい子ぶるんだ、じゃあ「子」を除けろ!という憤りを忘れて、そのタグ付けの「一本道」の写真と言葉にくぎ付けになりました。
みなさまはこの言葉の意図するところ、お分かりだろうか……。
わたしはこのハッシュタグに、あぁ、やっぱり、みんなもそうだったんだ、わたしだけじゃなかったんだ、と、いたく感銘しました。
ランニング中にはるか先まで続く一本道に出会すことがあります。
カーブもない、坂の登りも下りもない、真っ平に。
永遠と続くかのように思われるほど、地平まで伸びる真っ直ぐなロードに出た瞬間って、めちゃくちゃ嬉しいのです。
長い一本道とはランナーにとって、ここから自分を遠くへと連れて行ってくれる存在です。
距離が、穫れる!!えーいいのー?あんな先まで走って行っても!?
っと、快楽物質がドバドバあふれてきて、ヒャッホーウー☆です。
まさか、その感情にちゃんと言葉があっただなんて、概念として人と共有ができただなんて。
わたしは龍馬マラソンでは、浦戸大橋を駆け下りてからの21キロ~25キロ過ぎの花海道も、そんな理由でまったく苦ではありませんでした。
むしろ、ゾクゾクします。
直線、ゾクゾクします。(大事な事なので二回)
長い一本道では何も考える必要がなくなります、ただ、自分と同じペースにひとについて、雨に濡れて地面に移ったランナーさんたちの色とりどりのTシャツがきれいだなぁ、なんてそれに見惚れているうちに、道が勝手に30キロ地点に連れて行ってくれます。
みんなによくフルマラソンなんてやるよ!人じゃないよ!なんて言われますが、違うんです、むしろ、走らなきゃもったいないんです!
車道という一本道を走らせてもらえて、なんと途中途中に水まで準備してもらえて、なんならみんなに応援してもらったりねぎらったりしてもらえるんですから。
一本道をあんなにたくさん準備してもらって走らない手は(足は)ございませんよ。
今月でランニング歴1年になりました。この一年間いろいろ走ってみつけたマイフェイバリットストレートは、やはりあの卸団地横のフットサル場横、川沿いの真っ白い一本道でしょうかね。
きれいな白い地面が延々と続いてくなかなかに距離もあって走りやすさも抜群です。
龍馬マラソンの日はたくさんの人が優しく言葉をかけてくれました。走り終わって春野の競技場からシャトルバスで県庁まで戻って来て、今朝までの喧騒が嘘のように静まりかえった城西公園でチャリを拾って帰宅の途中、疲労でぼーとした脳が可愛い小動物を求めていたのか、ペットショップで立ちすくんでシマリスを眺めていたら、店主さまがこんな雨の日に寒かったろうに・・・お疲れさま・・・と明らかに哀れみの眼差しで声をかけてくださいました。
このようにみながみな、こんな雨の日に走るやつの気が知れないと思っていた、と人の前で口々にしましたが、違うんだよ、楽しんでやってんだよ 笑 雨のおかげで気温も一定だったし、良かったっちゃ良かったんだしな。
やってみれば楽しいのに。
興味ある人はランシューの買い物から付き合いますよ!イオンのスポーツオーソリティのランシュー売り場のお兄さんとはプライベートでも一緒に走った仲ですので、いつでも相談できます。笑
謎の人脈も繋がるのがランナーの世界です。