蜜柑の島で
英屋が九月末で一旦閉まり、十月から改装工事が始まるという一日の日、朝早くに出発する高速バスに乗って、わたしは高知を離れ松山へ移動していました。
とりあえず長い間は仕事のない身。
どうしよう、何して過ごせばよいのやら、とSNSでぼやいたら、
瀬戸内海に浮かぶ島に、蜜柑にまつわる仕事があると、むかしにうちに来てくださったことのあるお客さまが教えてくださいました。
高知を長期間離れたことがない、一週間程度なら海外旅行の経験はあるけれど、長く他の土地に住むという経験をしたことがなかった。
これだけの期間空白があるのであれば、違う土地と環境に身を置いてみるのもいいかもしれないな。きっともうそうそうない機会だとも思うし。
あまり深く考えていないっちゃいなく、ぽっと浮かんできた様なアイデアではあったけれど、なんとなく、無理も無茶もする必要もないようだし、良いような気がする。
いろいろ思い浮かんでいた海外旅行や国内パックパッカーや名ゲストハウス巡りという案にはいまのわたしは現実的なものを考えられない(パスポートをいまから取りに行くだなんて!危険と隣り合わせな旅をこの歳で初めてしちゃうなんて!!)。
と、いうわけで、わたしは松山に近い離島で十月のうちの二十日ほどを過ごすことになりました。
忽那諸島。
松山市駅で高速バスを下車、駅から高浜線の電車に乗り換え、20分終点まで走ると、島へゆけるフェリーの出る、高浜港に着きます。
アクセスは比較的簡単だと思います。
高浜港から出るフェリーに揺られ、40分ほどで中島というところに着きました。上のイラストでいうと、青い色の線で描かれている路線(?)でです。
いろんな時間帯で魅せる瀬戸内の景色はほんとうに美しく、写真に収めずにはいられなくて、はっとするたびに撮りためたものが、何枚も携帯のなかに残っています。これはあのダッシュ島が見えるよ!と教えてくれて撮ったもの。奥に薄くフタコブラクダのように水平線から顔を出してるのがそうでした。おー!と盛り上がりつつ、てか、今日はまた夕日がきれいだな!と感激しあった瞬間。
曇りがちな日。ガスが多い…という表現を島の人はしていたかな。島はぼやっとしか姿をみせません。こんな日でさえも、瀬戸内の景色は幻想的でした。
とにかく、海に島が浮かぶ景色というのは、太平洋を眺めて育ったわたしにとってやはり新鮮で、滞在中ずっと、この穏やかな景色と、どちらかというと荒々しい地元の海とを比較して、その匂いや透明度の違いを見つけては、感動しきってばかりいました。
この島から元怒和島という島まで高速船に乗って働きに出ていたとき、船内に出発とともに流れる、毎朝毎日のように聞いていた曲があります。
某超大御所女性演歌歌手が若かりし頃にこの島の歌を歌った曲。
瀬戸内海を歌う代表のような「瀬戸の花嫁」とも、似た雰囲気があるなぁと思いながらぼんやり聞いてたんだけど、やはり、この海にはこういう柔らかい、そして若い女の人ののびやかな声が似あうんだ。明るい陽と、みかんのような爽やかさが、もうこの島のイメージそのものなんだ。
これは室戸岬と、思わず悟りを開いてしまいそうなほど孤独に満ちた足摺岬の海とは天地の差の印象です。
さて、実際生活がはじまってみますと、当然、新しい土地で暮らすことの混乱が日常茶飯事化します。
来てみて知ったことなのですが、島は、物が、少なくて、高い……。
新鮮な魚が、適量な鮮度と味と値段の肉がない、野菜が傷んでいて値が高い。
島に唯一のスーパーマーケット「トミナガ」でわたしは、絶望に陥っていました、稼ぎに来て、自炊をせねばならぬのに、食材が高いのは、辛い。
「トミナガ」の鮮魚コーナーで、刺身用!と銘打たれた太刀魚も「いや、これは刺身用にあらず!」と、塩焼きにして、次の日のお弁当のメインへと降格してしまいました。(焼くと美味かった)
上はそのときの写真です。
これは生活にならないかもしれない!楽しみなんて食べることにしかないというのに!!のちにわたしは、親に泣きのLINEをすることになります。「もうなんでもいい。食材をなんでもいいから送ってくれ!」と。
ホームシックも相まって、高知に触れたかったのだと思います。
実際わたしは、翌日には箱いっぱいに届いた高知の野菜や魚や、おひろめの吉岡の精肉店のお肉やらで、元気を取り戻してゆきました。
大変だったけど、夢中で生きてる期間は今思えば楽しい出来事ではあったかな。
そんなことを思いつきで書いてってみよう。
(トミナガごめんなさい。笑 でも、最終的には毎日のように足を運んでいて、ここに来れば何でも助かる貴重な存在でした。)