ひでやのぶろぐ

英屋へようこそ!

人間には自動運転機能は搭載されていない!!!

11月6日にオープンして以来、怒涛の日々を過ごしております。

新装してしまった厨房に身体が慣れなかったり、膨大に増量した仕事の量になれなかったり。

やらなければならないことが水で戻したわかめのように後から後から湧いて出てくるので、それを必死になって追ってくうちにいつのまにか一日が終わり、また次の日が始まってる・・・またわかめぜんぶ戻ってる・・・って毎日。

つまりはエンスト状態です!エッヘン

まだ、いろいろとお店を渡り歩いてるアルバイトくんたちのほうが新しい店にも慣れるのがはやいので、彼らに付いて行ってる場面だってしばしばだ!エッヘン

元々こうなることが目的で改装することを決断しましたが、これが、そういうことだったのか・・・!とあとになって身を持って知りました。ガッハッハ!

効率よくなれば良いな、もっと料理が出しやすくなればなぁ、人の流れももっと良くなればなぁ、なぁんて。

 

・・・二か月前のわたしよ、これが、そういうことだ!!!!

 

とりあえずは、必死で湧くように戻り続ける膨大なわかめ、もとい仕事をこなすことに慣れることと、このじゃっかんは増えた席数の使い方も考えていかなくちゃならない。

前の英屋とは真逆のおひろめみたいな空間となった我が店。

人との距離が近く、みんなの顔が見える、賑やかな場所に変わりました。電気も非常に明るい。

そして、中二階の使い方、階段下の、ハリーポッターが最初の家でいじめられていたときの部屋みたいな空間席の扱い方!!(すげー好きだけどな!わたしは!憧れてたけど、むしろ!)お客さんに慣れてもらわなくてはならないものがあるのは周知の上で、この席たちはお客さまたちに育ててもらおうとも、ちゃっかり思ってもいるのです、時間が解決するっ!!エッヘ…

 

わたしが大好きで通ってるお店さんがあります。

何を食べても美味しくて、仕込みもバッチリで、こっそり、学びに行ってるお店さんなのですが、そこはなかなかに空間が狭くて横並びのカウンターのお席も小さく、人と人との距離が密度。

ですが、いつもいつでも、人で溢れかえってる人気の名店なんですよね。

席がどうであろうと、美味しいお店には人は集まるんだなぁ・・・と思うのです、そこへゆくたびに。

だからなんだって話ですが、だから、要は、慣れです。

他力本願も生きてく上では大事な・・・。

 

ま、とりあえずいまは激動の時期でかろうじてエンスト状態から脱出しようとしているつもり、いかんせんそのまま師走の繁忙期に突入してしまったので、未だ冷静でない部分はたくさんあるとは思いますが、やるしかないのです、いまは。

 

じわじわとエンジンは温もっている。はず!!

 

おひろめみたいな、英屋になりました。

楽しくてより明るいお店になっています。

楽しいことが好きな人には嬉しい場所にはなったと思います。

 

…しかしいつになったら平常に動くんだろうな、このポンコツ車は!

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蜜柑の島で

英屋が九月末で一旦閉まり、十月から改装工事が始まるという一日の日、朝早くに出発する高速バスに乗って、わたしは高知を離れ松山へ移動していました。

とりあえず長い間は仕事のない身。

どうしよう、何して過ごせばよいのやら、とSNSでぼやいたら、

瀬戸内海に浮かぶ島に、蜜柑にまつわる仕事があると、むかしにうちに来てくださったことのあるお客さまが教えてくださいました。

高知を長期間離れたことがない、一週間程度なら海外旅行の経験はあるけれど、長く他の土地に住むという経験をしたことがなかった。

これだけの期間空白があるのであれば、違う土地と環境に身を置いてみるのもいいかもしれないな。きっともうそうそうない機会だとも思うし。

あまり深く考えていないっちゃいなく、ぽっと浮かんできた様なアイデアではあったけれど、なんとなく、無理も無茶もする必要もないようだし、良いような気がする。
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いろいろ思い浮かんでいた海外旅行や国内パックパッカーや名ゲストハウス巡りという案にはいまのわたしは現実的なものを考えられない(パスポートをいまから取りに行くだなんて!危険と隣り合わせな旅をこの歳で初めてしちゃうなんて!!)。

と、いうわけで、わたしは松山に近い離島で十月のうちの二十日ほどを過ごすことになりました。

忽那諸島

松山市駅で高速バスを下車、駅から高浜線の電車に乗り換え、20分終点まで走ると、島へゆけるフェリーの出る、高浜港に着きます。

アクセスは比較的簡単だと思います。

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高浜港から出るフェリーに揺られ、40分ほどで中島というところに着きました。上のイラストでいうと、青い色の線で描かれている路線(?)でです。

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いろんな時間帯で魅せる瀬戸内の景色はほんとうに美しく、写真に収めずにはいられなくて、はっとするたびに撮りためたものが、何枚も携帯のなかに残っています。これはあのダッシュ島が見えるよ!と教えてくれて撮ったもの。奥に薄くフタコブラクダのように水平線から顔を出してるのがそうでした。おー!と盛り上がりつつ、てか、今日はまた夕日がきれいだな!と感激しあった瞬間。

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曇りがちな日。ガスが多い…という表現を島の人はしていたかな。島はぼやっとしか姿をみせません。こんな日でさえも、瀬戸内の景色は幻想的でした。

とにかく、海に島が浮かぶ景色というのは、太平洋を眺めて育ったわたしにとってやはり新鮮で、滞在中ずっと、この穏やかな景色と、どちらかというと荒々しい地元の海とを比較して、その匂いや透明度の違いを見つけては、感動しきってばかりいました。

この島から元怒和島という島まで高速船に乗って働きに出ていたとき、船内に出発とともに流れる、毎朝毎日のように聞いていた曲があります。

某超大御所女性演歌歌手が若かりし頃にこの島の歌を歌った曲。

瀬戸内海を歌う代表のような「瀬戸の花嫁」とも、似た雰囲気があるなぁと思いながらぼんやり聞いてたんだけど、やはり、この海にはこういう柔らかい、そして若い女の人ののびやかな声が似あうんだ。明るい陽と、みかんのような爽やかさが、もうこの島のイメージそのものなんだ。

これは室戸岬と、思わず悟りを開いてしまいそうなほど孤独に満ちた足摺岬の海とは天地の差の印象です。

 

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さて、実際生活がはじまってみますと、当然、新しい土地で暮らすことの混乱が日常茶飯事化します。

来てみて知ったことなのですが、島は、物が、少なくて、高い……。

新鮮な魚が、適量な鮮度と味と値段の肉がない、野菜が傷んでいて値が高い。

島に唯一のスーパーマーケット「トミナガ」でわたしは、絶望に陥っていました、稼ぎに来て、自炊をせねばならぬのに、食材が高いのは、辛い。

「トミナガ」の鮮魚コーナーで、刺身用!と銘打たれた太刀魚も「いや、これは刺身用にあらず!」と、塩焼きにして、次の日のお弁当のメインへと降格してしまいました。(焼くと美味かった)

上はそのときの写真です。

これは生活にならないかもしれない!楽しみなんて食べることにしかないというのに!!のちにわたしは、親に泣きのLINEをすることになります。「もうなんでもいい。食材をなんでもいいから送ってくれ!」と。

ホームシックも相まって、高知に触れたかったのだと思います。

実際わたしは、翌日には箱いっぱいに届いた高知の野菜や魚や、おひろめの吉岡の精肉店のお肉やらで、元気を取り戻してゆきました。

 

大変だったけど、夢中で生きてる期間は今思えば楽しい出来事ではあったかな。

そんなことを思いつきで書いてってみよう。  

 

(トミナガごめんなさい。笑 でも、最終的には毎日のように足を運んでいて、ここに来れば何でも助かる貴重な存在でした。)

三代目の野菜水切り器がすごい話。

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わたしにとって欠かせない必需品、野菜水切り器。

こういうものがあるという概念がまだわたしの中に存在していなかった時代は、水にさらした野菜のざるに同じサイズのざるを被せて、上下に「ざっこざっこ」振る水の切り方をしていたけれど、やはり、タダはタダなり。遠心力を借りる水の切り方とは千差万別なので、一応曲がりなりにもお金をもらって料理を提供するプロの身として、お客様にしゃっきりとした生野菜をお出ししたい、こういうところを働くおねえさんとしてしっかりしてモテておきたいから、必ずサラダの仕込みの時に使用します。

で、コレ↑がいちばん長く使っている水切り器なのですが、題名にもあるとおり、これで三つ目。

普通台所用品って長く使えるものばかりで、そうそう買い換えるものでもなくない?とお思いでしょうが、ちっちっち。

ここは戦場、そう、厨房。

戦場とは、家庭内とは対比的に、荒々しい場なのである、料理を作るという同じ目的の場なのにも関わらず、家の憩いの場とは対局的に動乱の地。

過去のふたつは使いはじめて早々にぶっ壊しました。

厨房は床がコンクリートです。

落ちてきた皿もグラスも、タッパも、プラスチック製品の調理器具も、すべてを粉砕してしまう、落ちたらみな即刻アウト。

マットがたまたまそこにあった、という奇跡が起こる以外は、大抵のものは一瞬の気の緩みごとに割れていく運命なのです、ここにあるものすべてが。

水切り器を使ったことのある人なら分かるとは思うのですが、本体の容器と、そこに重ねるザルがあり、そこに蓋をはめて、ぐるぐるとハンドルを回す、歯車が動かす部品とざるとの連結作用で、水がキレる仕組みなのだが、大抵落とした場合に壊れるのはそこの部分。

ハンドルと歯車付近の複雑な構造のところが、どうやら落とした時の衝撃にはめっぽう弱いらしい。

二個目を壊したときに、水切り器はいとも簡単に壊れてしまう…きっとわたしは次を買ったとしても、この調子で直ぐに壊してしまうに違いない、と、繰り返す同じ過ちに嫌気がさし、買い替えを躊躇していてしばらく「ざるを合わせてざっこざっこ」をしていたのだけど、やはりプロのおしももの仕上がりにはならないし、意を決して三代目を購入することに。

しかし、わたしは失敗から学べる女。

おしゃれ系の家具屋でたまたまめっけた可愛い水切り器、かれぴの家で使ってるカンジ♥のするものを再び買うなどといいう二番煎じはしない、わたしはプロである、そんなほわほわしたカンジの関係など、落とせば直ぐに壊れてしまう関係など最初から過ちだったのだ、飲食店専門の店に行けば、そんなものよりもしっかりとした専門の水切り器があることを知っている、二度と繰り返さない、愚かな過去は捨ててわたしは成長をするのだ。

話のなかにいろいろ混ざってしまって恐縮なのだが、(まあ事柄は違えども内容は結局は同じことである)そういう経緯もあって、わたしは三代目を丸三というはりまや町にある調理専門店で選んだわけなのです。

専門店といえどもここは飲食業の人専用というよりかは、家庭の手料理好きな女性の方が行く感じのお店なので、値段もお手頃、以外に三千円くらいで買えたんじゃないかな。しかも日本製品でこの値段なら、間違いがないはず!という確信のもとに使い始めたこの水切り器がたまあすごいこと。

何がすごいかって、まず、買ってからは幾度となく落下はさせてきたのですが、壊れることを想定してあるとしか思えないその設計。

歯車、ハンドル部分、歯車とのかみ合わせの部分。

これらが外れやすくなっているということが、この製品のすごいところで、落として壊れやすいところが、外れやすくなっているために、壊れないのだ。

はじめて落としたときは、飛び散るようにして外れてしまったばらばら死体たちをかき集めながら、終わった、瞬殺だった、また買いに行くのか……と落胆したのものの、諦めきれずに部品たちを繋ぎ合せてみたらば、あら不思議!すっかり元の姿に戻るではありませんか!

感激しきって、これ幸いとばかりに初代、二代目と変わらぬ扱いをして、落として、でもやはり壊れないので、別段そんなことに気をつかわず使っていたけれど、やはり、ものごとには限度というものがある、あるときに限界を迎えました。

ハンドルと、蓋をつなげる二本の棒が一本割れてしまって、回すときにハンドルが外れやすくなってしまったのです。

しかし、だから二本の設計になっていたのだと思う。

 

一本でも、十分回せるんだなこれが。

 

多少のコツは必要であります。

水を切りたい時は流しのなかに置いて、上から全体に圧をかけ、流しの横を壁にしてブレを減らし、ハンドルが回り遠心力がはじまり、速度に順調に乗れさえすれば、ハンドルは抜けにくくなる!

壊したときは、すわ、ハンドルが回せなくなったらさすがにこれは買い替えか・・・と落胆したものの、このやり方でいけば全然問題ないので、そのまま使ってました。

けれど、わたしの扱い方には変化はないのだ、気を使わずに落としていくうちに、また再び限界を迎えました。

こんど落としたときにはとうとう、容器本体が、割れたのです。

プラスチック容器に縦にひびが入り、水を溜めてもそこから漏れるようになってしまいました。

野菜を水にもさらせない、水を切るというこの製品本来の役割までたどり着けないではないか!

すわ、とうとう買い替えの時期が脳裏を過ったが、意外と水を溜めてみますと、漏れがはじまるまでは時間がある……。

だから、水を切りたい時は、水が漏れてもいい流しのなかに置いて、上のコツでハンドルを回しはじめる。

すると。

なんということでしょう!!

本来はカップ焼きそばの湯切り穴から湯を出すあの要領で、蓋にある出し口から水を出すのだけれど、なんと!ハンドルをまわすとそこのひびから、水が飛び出してくるではありませんか!!

しかも遠心力の力で出る水の勢いもすごい。

亀裂が水を上から流す手間を省くという利点を生んだ。

 

…人生万事塞翁が馬。

人の運命は予測できないことに満ちていることの古典の教えを見に染みて感じた瞬間でした。

 

なかなか、人には、これ良かったよー、使ってみてーと個人的に良かったオススメのものを教えることってあるけれど、やはり、それは使ってみた人自身の感じる評価はそれぞれなわけで、決して良さとは万人に通じるものではないとは常々思っているのだが、これだけは、これだっけは、自身をもってお勧めしたい。

この野菜水切り器の良さは、万人が痛感する、奇跡の製品だと、わたしは思っている。

まだ丸三で売られていると思いますよ、よく行かれる方はぜひ、お手にとって見てみてください。

 

日本製品、万歳!!!