ひでやのぶろぐ

英屋へようこそ!

癒し。

沁みる…。

臨床心理学に興味を持つようになって(きっかけ本 「ラブという薬 」著者 いとうせいこう 星野概念 名著!)河合隼雄 を読み始めてからまたよしもとばなな のもとに帰って来た。
「アムリタ」は河合隼雄先生が生前、カウンセラーに推薦していた小説だったと知って(きっかけ本 「なるほどの対話」名著!!)即刻本屋へ走ったら、もはや古すぎるのか、なかったから、急遽Kindleで。
朝支度をしながら、休憩中に、お客さんが来るのを待つ合間に、読み進めた。
この物語はほんにんがほんとうにしんどかったときに書いたものだそうで、だからなのかな、染み入るのは。読んで言葉に無駄が無いと(勝手に)感じるのは、作者の辛さが直に伝わるからなのかも。そういう物語が、癒しになるというのはなんだか不思議なことで、主人公に起きたひどいことも解決もされずに話は終わるのに、そういうものだよな、というところに、浄化されたりする。
臨床心理学の大家が、人の心と向き合う仕事において物語の力を必要としていたということに、無性にこころ惹かれるものがあった。
そんな人が生前に逢いたかったという村上春樹 の対談本(名名著!!!)に影響されてようやくこの人の書くものが理解できるようになり 笑 、ハナレイベイ (読まな損)像の消失 、品川猿 、色彩をもたない多崎つくると彼の巡礼の年 (30代ならなお読むべし!)、眠り (これもほんにんが疲れきっていたときに自分を癒すべく書いたものだという、大好き!)などと出逢い、孤独と喪失感と焦燥感と寂寥感に向き合う力をくれた、こう言葉に書くとすごいけど、わたしはだいじょうぶです 笑

そういう「どうしようもなさ」にいまはものすごくぐっときて止まない日々 、また趣味の傾向がずいぶんとひとより変わってきた気がするけれど、そのきっと星野概念先生著曰くの「傾聴」という作用が、このふたりの書くものにはあるのではないかと思うの。

人の言葉を、耳を傾けて聴く。

ふたりの書くものは、読み手のこころの声を聴いているかのようなんだな、
日常のなかでうまれるこころの怪我。
いつのまにか誰かを傷つけてしまっていたりとか、人からしたら超絶くだらないに決まってることとかで死ぬほど悩んでいたり、時間は流れるから、取り返しのつかなくなった「どうしようもない」できごとに疲れてきたりだとか、なんかそういうことを丁寧に書いてくれてるから、そうそう!って、話を聞いてもらっているみたいになるのかも。

自分を癒すために書いてきた作家。いましばらくはそんなふたりの小説を読んでいる。

書くことが癒しになる。
確かに、なるんだよな。
そう、こんなささやかなことが、癒しになってる。