ひでやのぶろぐ

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わたしの好きな本 

 

ラブという薬

ラブという薬

 

 好きな著者ができたら、その人が影響を受けた本を探す旅がはじまる。

著者の言葉に感銘を受けたら、その著者自身が感動し影響を受けたその体験を追いかけてみる。

 

高校生の頃に友達から教えてもらって大きな影響を受けた本に、ここで再び戻ってくることになろうとは。

 

キッチン (新潮文庫)

キッチン (新潮文庫)

 

 二十歳の頃に一度ばなな離れを敢行してから数十年ぶりに読んだ。

あの頃とは全く違う読み取り方ができていることに驚きだった。

というか、あの頃は、なにかものすごいことが書かれていることには違いないが、よく分からない、けどすごく惹きつけられて仕方がない、という感じで読んでいたと思う。

今は、意味もすべてが身体で分かるようになってる。

まさか、あの頃は何となく文章を目で追っていたものが、こんなにもひとつひとつの言葉にいまの自分にとって意味があって、必要があるということに、なんだかまた感動して。

 

ばなな離れを一度決めて、でも、結局はずっと帰りたかった。

 

ステロイドの注射を打てば、何もせずに炎症が治まって楽になるので、すぐに皮膚科に飛んでっていたのだけど、その副作用の噂があまりにも恐ろしいので、最近では少々値段の張る手首まで長さがあり、かついい生地なので通気性が半端なく、朝まで外さずに快適に睡眠ができるという魔法のような手袋を購入して以来、かきむしることなく手荒れが治ってきた、という最近最も嬉しかった出来事のような。

つまりは、あまりにも強烈に効く世界感に、影響を受けきってしまっては今はいけない気がする!という直感に従い二十歳でばなな離れを決行、しかし、いまでは、ある程度はじぶんのこともわかるようには多少だがなってはきたので、地に足がついたいまならば、ばななも恐るるべからず!

……じぶんのことはじぶんで面倒をみれるようにある程度はなってきたことって、これ大人じゃん?という喜びのエピソードたちで双方の例えを……ややこしいか!

やっぱり、たくさんの人に読み続けられている本って、存在することの意味があるのだから、通り過ぎずに、事あるごとに栄養にしていくことって大切だなぁ。

今度の再読で最もこころに来たのは、猛勉強の独学の末に料理家の先生の助手として独立したみかげが、同じ助手として働く二人の良家のお嬢様たちの姿を、彼女たちは幸せの域を出ないように親御さんたちに教えられてる、という、もっと感動的にこのところは描かれているんだけども、みかげとの対照的な存在として。

なんかダントツでそこでした。

ふたりは地獄の釜をそれぞれが一人で覗いてる、とか。

こう書くとまったく分からないと思うけど、これ、恋人同士とこれからなりそうな二人の姿を描いてるシーンなんだよ、

それがいい感動の場面なんだよなぁ、小説って、不思議、伝わらない(笑)

 

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