ひでやのぶろぐ

英屋へようこそ!

映画駄話。

 

 

 

 このダイアン・ゴスリング(最近好みの俳優!キアヌの次に♥)は、「ラ・ラ・ランド」で演じていた男級のダメ男を演じてます。

この映画のジャンルは、それすなわち!

「 家 庭 崩 壊 物 」。

離婚に至るまでの数日と、恋愛期間中の一番幸せだった七年前の出会いの頃とを、交互に並べてくる凄まじい拷問映画。

離婚が決定的となった別れの場面と、教会で、幸せの涙いっぱいに指輪を交換する場面が交互に繰り返されるエンディング。エモーショナルな音楽と共にキラキラと美しい打ち上げ花火が画面いっぱいに散りばめられる終幕に胸に迫っているものは、未婚者、既婚者、女子男子、観る者の立場によって大きく変わる。

この映画、この原因があったから離婚に至ったとかいう物語を作り手側があえて作っておらず、あるがままの二人の間柄を映し撮っているだけ。

なので、破滅に至る原因はどこにあると感じたのかは、おのおので捉え方が違ってくるので、観終わった後の話し合いを聞くだけでも超面白い。

ダイアン・ゴスリング演じる旦那側は、離婚するときも、結婚するときも、性格は変わっていない、ずっとダメ男のままだったのに、って考えると、恋愛って・・ってなんなんだろうなぁと思わざるを得ないし、ヒロインも、ヒロインなんだわ、この女…。

 

立場によって、この主人公二人の見方がそれぞれに変わるので、この映画って、喧々諤々、話し合いが尽きない。

 

こういうふうに、観ている側が何かを思ってそれに対して新たに言葉や思いが生まれてくるものが、よき映画だとは思いませんか。

監督さんのドヤ顔よりも、監督さんの「情」が滲み出てくるもの、(この映画の場合、監督さん自身が経験された恋愛&結婚&離婚の経験の事実に基づいて生まれた物語)共感とはそこに生まれますし、そんなものに感動いたします、それこそが永遠に大切にしたい思い出の一作になるのではありませんか。

 

ですから、

 

話題の新作「ラ・ラ・ランド」は、同監督作品「セッション」を観た後と同じように監督さんの「ドヤ顔」を見せつけられて、置いてきぼりをくらって、終了されて、決してその類のよき映画だとは思えませぬ、われらが物思う余白なし!!

「セッション」の場合は、ウキーーーー!!!!って、鑑賞後、登場人物の鬼教官から受けた心的ストレスが半端じゃないまま唐突に映画が終わられ、怒りの矛先をどこにどう向けたらいいのか分からないままに放置プレイ。

まぁ、きっとそれも作品を楽しんでるってことになるとは思う、その放置プレイだと感じたことこそが監督の技。人が嫌な気分になる。そこへの持って行き方がこの人はとても上手、変態か?(あのカルト映画「セブン」の鑑賞後にひっどい映画観た!って憤慨してることもきっと作品を楽しんだってことになるんだろうけど、でもそれだけだもん)だから、「ラ・ラ・ランド」の方も、ちょっと恋愛ものだからキュンとはするから、いいっちゃ良いんだけど、登場人物が成長する話ではなかったと思うので、あいつら周りの環境に流されただけだし、受け手もなんか白けたまんま、ただ、上手に作品を作り上げた監督さんのドヤ顔見せられても、自分の身に置き換えられる共感ポイントが無いので、なんか、だから?て。

 

 最近自分の好みの傾向がはっきりしてきた。

奇抜な世界観に陶酔するだけの映画よりも、逆がいい。

こちら側の目が覚めてればいい、というものがいい。

 

癖のある作家性の世界観よりも、人間の普遍性を描いたものがいい。

偽りなく描く人間の姿。偽りはただのかっこつけだ。

だから、小津安二郎東京物語で何回も観て泣くでしょう、あれで何も思わない日本人は一人もいないと断言する。誰しもが分かる日常に起こる事、だからつまらないなんてことはない、普遍的なものを胸に残る画にできることって、すごいことだと思う。

それがいま世界中の監督から称賛されていて、それと似た映画がいまどんどん作られているってこれもまたすごいことだ。この映画の中に映り込むものって、海外の人から見たら、どれもおもしろいだろうな。戦後の日本人の家族観、宗教観(お葬式のシーン、尾道の風景)とかさ。

 

君の名は。

君の名は。

 

 だから、これもなぁ・・・。

 

「秒速五センチメートル」の世界観というファンにはたまらない、この監督さんのらしさをこれでもかと広めてみせた作品なんだと思うんだけど、ならばやっぱり、この監督との相性はいくら話題作とはいえども…わたしは、合わないっ。

しっかりと、それでもこの監督さんの作品にはほぼ目を通していて、それはもちろん、背景が綺麗だから、絵は素敵だから。

嫌いじゃあないので、つい観てみるんだけど、観たあとの後味がいつも、う~~ん・・・。

結局、どんな話だったっけか、後々記憶にも…。

と言いながら、これのひとつ前の映画まできっちりと観ていて、話の幕開けとか、鉱石ラジオを主人公が作ってて、田舎の日本家屋みたいな家で、あら素敵、麦焼酎二階堂のCMみたいで良いじゃない!と思って観てたけど、そこからストーリーがただのドファンタジーの世界になっていくうちに、やっぱりだんだんとこの監督との性格の不一致さが現れてきて、そのうちに話がどうでもよくなってくる。

もうお前は背景だけ描いとれー!!と、暴言を吐いて見限っていたんだけれど、あまりにも話題が続いているから、またつい観ちゃったじゃないか。

今回はきっと、「転校生」と、「時をかける少女」と、タイムループして過去を変えるというみんなが大好きな日常プチSFものの諸要素をいっぺんに持ってきてて、そんな胸キュン要素と、あと加えると震災要素までいっぺんにいいとこ取りしていて、だから万人が大好きになる作品になるんだろうなとは思うんだけども、嫌!なんか、不満足!

 いい話ですね。で、終わる映画が良い映画だとは決して限らないのよ。

 

とか、ビール飲みながら不満をぶちまけてたら、比較的「この二人いつ逢えるのかしら!?ドキドキ」と感動しながら鑑賞していたという父に、お前はもうフランス映画だけを観とれ。と冷たく諭されました。

 

 なので、抗わずにそうしました。

 (純粋な赤い糸話に乗れない可愛そうな女説は横に置いて・・・)

ベルギーブリュッセルが舞台です。

kamisama.asmik-ace.co.jp

この前県立美術館に行ってたら、上映予告のポスターが貼られておりました。これはぜひスクリーンで観たい作品!

くすりと笑えるし、ほっこりします。

わたしたち人間にとって必要不可欠な存在の神様たちをモチーフに、ひとが生きてくことのおかしみ、それを優しく肯定的に包み込んだ幸福感あふれる物語。

 あっちの映画って、いろんなおかしい人間がたくさんでてきて、清濁併せ呑んだ世界を作り上げる話に素晴らしいものが多いと思う。

常識はずれを肯定的に受け止める、情深いものがたりと云ったら簡単すぎる表現かもしれないけど、肩の力もっと抜いてもいいんだなぁってなる。

すごくひとつに凝り固まった不器用な人間たちが、解放される世界観とでもいうのかな。だから、たくさん人と出会わなきゃいけないなぁとも思う。心のドアを開いてね。

 

もうこれは文句なしに大好きな映画だ!

 

あ!そうそう、ダイアン・ゴスリング出演作ならば、

ドライヴ

ドライヴ

 

 いまのところこれが最高得点!

わしの理想の男そのもの。アメリカ映画なので、先ほどのベルギー映画とは打って変わってバイオレンスでギスギスしてますっ。

でもその過酷な環境であったひとつの安らぎの出会いって話でさ、キュンキュンよもうコレ。

 史上最高のベストカップル、ふたりに言葉はいらないの。しゃべりすぎよね、みんなね・・・。

 すごいよかった・・・。

映画『戦争のはらわた』オフィシャルサイト

さっき二回目が観終わりました、まだもっかい観たい。

『ロシア戦線でくりひろげられる名誉欲に憑かれた男のもうひとつの戦争を描く。

ドイツ側からの視点で描かれる第二次世界大戦ってそれだけで珍しいような。

悪の組織。ナチス。でくくられて終わるので、そうでない映画というだけでもうおもしろそう。

戦場におけるほんとうの「敵」とはいったい誰なのだろうか。

「敵国」じゃなくてそれは、人間の内にあるものなのではなかろうか。

埃と血と煙に汚れた男たちの極限状態が描かれてるけど、苦手だと思っていた戦争映画なのに、この映画、なんだか強く惹きつけられる。

敵国と戦いながらもうひとつの「敵」とも戦う主人公の姿や、まわりの登場人物たちがなんだか魅力的で、で、また会いたくなるのよね、だから三回目いくの。

 

でも、この手の「敵」というものって、なにも戦争の時代だけの話だけなく、いま日常にも起こりうることなのではなかろうか。

負けた国、勝った国、善と悪であの戦争を価値観づける風潮ってどうなのかしら。

戦争中も日常のひとつとして人は当時生きていて「戦争中だからおかしかった」っていう現代側からの見方はそれこそおかしいと思う。時代がそうなる選択をしている最中もそれも日常の内で。

情勢が過激という確かに現代との違いは大いにあれども、「人間」は今も変わってないからね。