大人な。
古典。
それは、いつか人が帰るべきところ。
男どもの古典がロッキーやジャッキーやブルース・リーならばっと、考えて、10代のころにドハマりしてた、これがわたしの古典かな。(女子にも異論があるとは思うが)
女子のあこがれ、花の都巴里のイメージを根底から覆すガールズムービー。
夢見がちなセブンティーンのころにハマってたの。
元々監督はホラー映画撮ってた人で、この映画のイメージポスターもどこかホラーぽいし、それ、確か「エイリアン」じゃなかったけか。
そんなおっさんが描いた、日本よ、これが、パリっ子だ。
当時目にした実際の巴里の街は、いかにおらが国のインフラや街並みにこまめに人の手が加えられ、整えられていたのかが身に染みて思うほど、なんか、いろいろが雑多にみえた。
これは日本が災害が多い土地柄だからなのは間違いなくて、春夏秋冬、洪水、積雪、火山、地震で破壊され、ときどき津波に全部流されたりしながら、年中、休むまもなく直し直ししながら、人がやっと生きてるのに比べりゃ、あっちって、たぶんだけど、ほぼ、放ったらかし。
そんな将来遺跡となるまで残り続ける石の街に、色んな人種たちが流れてきて混在して住んでる、だから道路にゴミが溢れようと、みんな人ごとのようにしている風にみえて、そんなパリの街は、石造りで建物はきれいだけど、その周りの環境は、どうかな、きれいかな。
なんか野ざらしという言葉がぴったりだと、今、思った。
そこがちょっと不衛生に思えたけど、渋いとも思えた、逆にこれが大人なのかも、と思った。(よくわからんが)
そんな背伸びしても手の届かないような未知的、あ(↑)こがれの街に住んでる、アメリが、10代目線には何もかもがお洒落にみえた、無性に可愛かった。
いい感じで本格的に日常性のある、パリの人間模様、みんなちょっと変で、といっても、何がまともでそことどこまで外れてるから変人となるかなんて基準も危うい、この世界感。
いやなやつにも、ほんとうに変なやつにも、変人じゃないけどちょっとだけ変な方向にこだわりが強すぎてたり、そんな登場人物たちに対する、ユーモアな肯定感が心地よい。
- 作者: イポリトベルナール,Hipolito Bernard
- 出版社/メーカー: リトルモア
- 発売日: 2001/10
- メディア: 単行本
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あぁ、これも好きすぎて大事に持ってたなぁ。
労働者がデモ中の、中身ほぼシャッター街と化してすっかり廃れきってるショッピングモールで自由時間の買い物を楽しんだり(楽しめるか!買うもん何にもなかったわ!)、巴里の街並みをバスから眺めていたら、ところどころにいくつもある大行列が目について、それが職安に詰めかける人たちだったと知ったときは、なんか何とも言えなかった。
世界で一番閑散としているといわれているユーロディズニーも、お噂通りで。
(スプラッシュマウンテン、スペースなんちゃら、何回も連続乗りした)。
これはヨーロッパはこどもをこどもたらしむ教育をする国柄ではなく、人間を一刻も早く大人に仕立てたいという価値観が強いため、幼き人間を夢の国に迷い込ませるような愚行を嫌う、とか、なんかの本で読んだっけ。
実際に舞台となったアメリが働くカフェへも念願叶って行けたけど、映画の中のこぎれいさなど皆無で、ものすごい汚い店だった。
映画ってかなり、いらないところ隠れてるんだと、しんみり思った。
カフェがこ綺麗お(↑)しゃれな場所という固定概念が未だ根強い高知の田舎者、今思えば、向こうのカフェって日本で言うところの居酒屋的な場所なのかも、とすれば、じゃああの店って高知の葉牡丹だったのかも、使い込み感は似たようなものだったかと。
まぁ、見ると聞くとは大違いとはこのことかと、あまりにもかけ離れているパリの現実の洗礼を受けたセブンティーン。日本の宣伝って。
この映画は、そんな普通じゃねぇ現実に、おしゃれに、可笑しく、パリっ子らしく処してくアメリの姿がなんかかわいらしくて、あこがれてたんだなぁ。
きれいごとじゃおさまらねぇ無秩序な世の中を、こういう風に渡るのって、すてきかもって!(まじかよ)