しわす。
「年末鬱」という自作の造語がありまして。
師走を目前にやること&考えなければならないことが日常的に続くことへの不安感から襲われる12月初旬特有の自身の症状のことですが、だいたい年賀状書きさえ終わりが見えれば、気分も楽になるってもんで、情緒も今やほぼほぼ安定期に。
しかしどうしたわけか、毎日のように狂ったように大泉洋の水曜どうでしょうを見まくっていて、どうやらわたしは、シュール極まりないこの番組が心の衛生にちょうど良いようで、「どうでしょうセラピー」をおのれに施しつつ、この師走を駆け抜けてゆこうと・・・またくだらぬ造語ができてしまったか。
本人たちも「旅自体はつまらない」とゆっての通りで、あとで振り返ってみれば、すごくおもしろかったね!ってのが醍醐味みたいなもんだから、きっとこの毎日もそうなるに決まってる。
いまは時間があれば体力気力回復のひとときに使いたいから、読書も進みます、これはいいですね。
いまは村上春樹のレキシントンの幽霊にハマってて、あぁいいわぁ。
この世の不条理と永遠の孤独と、喪失感による焦燥感に浸ってますます症状は進行し あかーん!!
……いや、でも大丈夫、これがねぇ、いいんですよ。
キリッとキレのいい物語だから、おぉ!って感動して、逆に逆行がなんでもなくなりそうな気分になるから、不思議なものでさ。
さぁ、今日も大宴会がありますぞ!本日も今から開店です!
癒し。
沁みる…。
臨床心理学に興味を持つようになって(きっかけ本 「ラブという薬 」著者 いとうせいこう 星野概念 名著!)河合隼雄 を読み始めてからまたよしもとばなな のもとに帰って来た。
「アムリタ」は河合隼雄先生が生前、カウンセラーに推薦していた小説だったと知って(きっかけ本 「なるほどの対話」名著!!)即刻本屋へ走ったら、もはや古すぎるのか、なかったから、急遽Kindleで。
朝支度をしながら、休憩中に、お客さんが来るのを待つ合間に、読み進めた。
この物語はほんにんがほんとうにしんどかったときに書いたものだそうで、だからなのかな、染み入るのは。読んで言葉に無駄が無いと(勝手に)感じるのは、作者の辛さが直に伝わるからなのかも。そういう物語が、癒しになるというのはなんだか不思議なことで、主人公に起きたひどいことも解決もされずに話は終わるのに、そういうものだよな、というところに、浄化されたりする。
臨床心理学の大家が、人の心と向き合う仕事において物語の力を必要としていたということに、無性にこころ惹かれるものがあった。
そんな人が生前に逢いたかったという村上春樹 の対談本(名名著!!!)に影響されてようやくこの人の書くものが理解できるようになり 笑 、ハナレイベイ (読まな損)像の消失 、品川猿 、色彩をもたない多崎つくると彼の巡礼の年 (30代ならなお読むべし!)、眠り (これもほんにんが疲れきっていたときに自分を癒すべく書いたものだという、大好き!)などと出逢い、孤独と喪失感と焦燥感と寂寥感に向き合う力をくれた、こう言葉に書くとすごいけど、わたしはだいじょうぶです 笑
そういう「どうしようもなさ」にいまはものすごくぐっときて止まない日々 、また趣味の傾向がずいぶんとひとより変わってきた気がするけれど、そのきっと星野概念先生著曰くの「傾聴」という作用が、このふたりの書くものにはあるのではないかと思うの。
人の言葉を、耳を傾けて聴く。
ふたりの書くものは、読み手のこころの声を聴いているかのようなんだな、
日常のなかでうまれるこころの怪我。
いつのまにか誰かを傷つけてしまっていたりとか、人からしたら超絶くだらないに決まってることとかで死ぬほど悩んでいたり、時間は流れるから、取り返しのつかなくなった「どうしようもない」できごとに疲れてきたりだとか、なんかそういうことを丁寧に書いてくれてるから、そうそう!って、話を聞いてもらっているみたいになるのかも。
自分を癒すために書いてきた作家。いましばらくはそんなふたりの小説を読んでいる。
書くことが癒しになる。
確かに、なるんだよな。
そう、こんなささやかなことが、癒しになってる。
年の瀬メランコリア
雰囲気的に年末の気分になってきましたぞ。。。
この前ふと口からでた、今年会うのが最後のお客様への別れの挨拶に「良いお年を!」。
なんの心構えもできていないのにあと二ヶ月に迫るとかいう今年の終わり。
恐ろしや、本人はそんなつもりがないというのに、12月の忘年会予約抑えが連日続くと、もう、気持ちはあの師走を迎え撃つ心構えになってしまっております。
だから、気持ちだけでも、先に、先に。
あわあわと波にのまれないよう、冷静になって、激しすぎるときの流れに負けないこころの準備を、少しづつはじめるのです。
合戦前の侍たちが、夜な夜な鎧を磨き、シャー…シャー…と、刀を研ぐ前夜、今はまさに、あんな心境ぞ。
ですから、昨日日本郵便さんからの英屋さんの年始のご挨拶と名前が入った年賀状がさっそく届きやがって心底ビビったときも、そんなこころを瞬時に沈め冷静に意気込みました、
日本人のこころを乱すやから(クリスマス)どもの日までには、わたしは、投函してみせる、否!!11月中までには宛名を書き終えてみせるっ。ザマミロ年末!と。
この様にして毎年毎年、一ヶ月強も続く激動期が終わりをむかえる七草がゆの日を超えてはじめて訪れる平穏、いわゆる、本当の平日、その日が終わるまで気は抜けません。
かの敬愛する星野源氏がゆっておられました。
これから待ち受けるしんどいことに頭を悩ませるときには、それが終わった時のことを考えて暮らせばいい。
それが終わり、安心してこころを軽く過ごしている、そんなじぶんを想像すればいいんだ、だって、それはほんとうに起こりうる、必ず先に待っている裏切らない未来なんだから。
さすが変態は良いことを云う!と膝を叩いた名言です。
わたしも頭を悩ませる行事ごとがあるときは、それが終わってストレスから解放されている未来の自分を想像して生きてみるのです。
いまからでも、だから、言葉だけは明るくいきたい。
「あけましておめでとうございましたね!(松の内終了ーフー!!)」。