わたしの今年のバレンタイン。
先日いつものように、仕込みの買い出し途中に両手荷物でスターバックスに寄り、ブレンドのM(未だにスタバのサイズの呼び名が慣れない)をテイクアウトしていたら、お店のお姉さまに「もうすぐバレンタインですねー」と話しかけられた。
明らかに私は彼女にとって初めてのお客さんだったと思うので、それにも関わらずその自然な親しさに、季節ごとに変化するマニュアルの臨機応変さに関心しつつも内心は、「だから、どうしたんだ」という言葉しか思い浮かばず、動揺していた。
「あぁ、そう言えばそうでしたねー」と営業スマイルでこちらも反したら、「今年は誰かに贈られるんですか?」って。
ここは世界最先端を行く「御洒落モデルの場」的店、彼女のその振る舞いが様に、女として充実している我がライフスタイルを持って会話をせしめねば!!!と、妙な意地から意気込むものの、・・・・・・なぁんも、無い。
NYスタイルの世界最先端をゆく御洒落なこの場に相応しいバレンタインにまつわる煌びやか、かつ、心をときめかす甘い女子話なんて、微塵も私の中には存在していないことに気づかされて、心がちくちくと痛んだ。
けれども、わたしは、わたしなりにもあったのだ、心ときめくバレンタインにまつわることが。
みんなが大好き「ブラックサンダー」が公式に義理チョコ認定されたらしい、それを男が男に渡すという「ホモチョコ」なる文化がある由聞いてそれって良いなwwwって爆笑したこと。
バレンタインと聞いて思い浮かんだことがそれだけだったので、相手が相手ならその話をするのだけれど、ここで彼女にするのには、あまりにも場違いというものだ、ましてやここは世界お洒落最先端地の鋳型。
ここが高知といえども油断してはならない、常に国際感覚を身に着けている風でいなければ、地元であろうが、田舎のギャグなど通じないかもしれない。世の中は世知辛い。
とぼとぼと紙袋を下げて店に帰る。その姿はもはや白旗を挙げた敗者が如く。
……いや。
あんたには負けたかもしれないけど、わたしは、わたしなりの生き方がある。
もはやあのええチョコを殿方に贈るという世界からはほど遠い場所まで来てしまった。あなたも抱くその世間一般の幻想世界とは少し違う形の、わたしなりのバレンタインがあるのよ。
・・・という次第で、バレンタインのときに、こうして、
「ホモチョコ」をしこたま買い込んで置いておいたというわけです。
わたしは世の女どもが男に良く思われようとしてデパートで買う不味いくせにくそ高いブランドもんのチョコではなく、「味」を重視する。そして話題性もある上に、国民的人気もある。
良く思われたがりの女は、ブランドチョコをチョイスすることにより実は本気っぽいかも感で男を惑わそうとするが、こちらは正真正銘の「義理」である、竹を割るが如き潔さに、この方が逆に惚れられるかもしれない。
わたしなりの等身大のバレンタインができそうで、にこにこして労働にいそしむ。帰りがけのお客様に手渡しするのだ、バレンタインですから☆ニコ!って。
ほら!わたしにも贈る相手がいるじゃないか、それも沢山!
それは、いつもお世話になっている、お・客・様・た・ち。
どや!NYで生活してたってこんなこと思いも浮かばんやろ!
御洒落の形からは大きく外れているかもしれないが、こういうのって、心の充実さを重視するんでしょ?じゃあ上等じゃんか。
「ホモチョコ」を勢いで置いたその日は、あの龍馬マラソンの前日だった。
県外から来られてるランナーさん達が鰹のたたき目がけてたくさん来られていた。
明日のフルマラソンに備えて早々に引く一群のランナー女子たちが、その「栄養補給剤」に目をつけたのは言うまでもない。
無料で、あのみんなが大好き国民的お菓子をくれるというのだ、お店の人もどうぞと言うのだ、許可はある。
自由に、自由な数を持って帰るさ……。
……なぜ、なぜわたしは、人に贈るはずだったものを、「ご自由にお取りくださいコーナー」に置きっぱなしにしていたんだろうか、そしてこの世には男以外の性別がいたことにも気が回らなかったのだろうか。
ただの「高級ご自由にお取りください」コーナーと化した場所から男性用義理チョコたちが、店が開いてから一瞬で、男性たちよりも先に帰られた女性陣の手により持ち去られ、消えてしまっていたのでした。
スタバのお姉さま、これが、わたくしからの返事です。
「女性にただブラックサンダーを自腹であげた」それがわたしのバレンタインです。
まぁ、同性に義理チョコを贈ったということなので、やっぱ結局「ホモチョコ」ネタが好き!!で終わったのか……。
知り合いに英屋ロゴを作ってもらいました!近日中にはこのロゴが肩に入った、従業員専用の英屋オリジナルTシャツが出来上がる予定なのです!
プロのおしもも。
最近人に教えてもらい、すっかりとハマってしまったお店さんがありまして。
キネマMの斜め前にある「ムームー」さん。
どん!と、存在感のある喫茶「ファウスト」の真横にひっそりとございます。
なんかもう、めちゃくちゃかっこいい。
その佇まいも、味の美味さも。
すべてがスマートで、間違いない。
確実に喜びに変わる味わいと空間で。
惚れないわけがないよね。
という最高峰を、島根県在住のお客さんに教えてもらったという、この、情報の逆輸入感ぞっ。
その島根の人の熱弁振るう「ムームー」さんの説明が、すべて的確だった。
同じ説明をわたくしもぜひいたします。
島根の人のアドバイスがあってわたしも焦らずに初めての注文を乗り越えられた。(ちなみに彼は有名な出雲蕎麦屋の二代目です、が、その出雲蕎麦のイメージとはうらはらな、ぶっ飛んだ見た目に初めての人は皆驚きます。だってまずもってパツキンの長髪です)
メニュー構成がとてもいろんな人の好みごとにあるから、そこを理解するとすっごく嬉しく思います。
お姉さま(可愛い)の接客も、優しくて、心あって、あぁ(我が身を振り返り自己嫌悪に陥って一瞬死にたくなって思わず心から溢れ落ちる声)ってなる。
第一口目で衝撃を受けたの。
わたし、冗談じゃなくて、こんなに美味しいクラムチャウダーを口にしたのは初めてだと思ったっ。
その瞬間にすべてにおいてここを信頼できるという確信を抱いた。
きっと裏切らない!
なんだか久しぶりに嬉しくて、ほんとうに気持ちが明るくなったなぁ。
忘れもしない12月のこと。
スタンド・バイ・ミーを観た帰りに立ち寄った。
なんか全てにおいて充足したと感じた日だった。
しばらく寒さが続きますね。
英屋さんちも毎日のように何かしらを炊いています。ほんとう、温かい煮物が欠かせない季節です。 このおでんも。
ほんとうに寒くて冷え切った日だったから、このうちのダシが身体中に染み込んでった。
あ、おでんのおだしって、飲み物だったんだ!って思った、カレーが飲み物ってのは未だに理解はしかねるけども、おでんのだしはゴクゴク飲んでいいのよ、すると、ほんとうに身体の中からほっこりと温まるんだから、身体だけじゃなくて心もね。
おでんが冬に必要な理由が分かった気がした。
プロ達の洗練された料理を堪能していただいたその御目を汚させていただきます、私作のまかないです、その名も、~英屋流究極のナポリタン、ネオ日本食の極地、キュー〇ーミートソース缶も混ぜ込んだver~です。
ネオ日本食とは、寿司、天ぷらなど外人が今簡単に日本食と思っているTHE☆和食をいつもいつも日本人が食ってるなんて思うなよ、実は明治、戦後のどさくさ期に紛れ込んで来た西洋料理が日本の島でガラパゴス化したものこそ日本人が愛する料理たちなんだ!
カレーにオムライス、「カゴメ」のソースで堪能するエビフライとトンカツに、ナポリタン!!!、これを食べてこそ、欧米人よ、真に日本食を知ったことになるのだぞ・・・。という概念です。
イタリアの方にボコボコにされそうなほどに調理方法は外道ですが、味は小学校の給食にでてきたあの味そのもので感動します。
あぁ、最後のこの低さよ……。
戌年だし、愛犬の話。
朝(厳密にはお昼前にだけど)部屋に掃除機をかけていた母から距離を置いて、南向きの畳の間で、愛犬チワワのパンくん(雄11歳)がこっちを見ながらぷるぷる震えていた。
そんなに掃除機が怖いのか・・・と思ったくらいで、そのときはそれ以上は何も思わなかったけれど、次にまた畳の間を覗いた時に、同じ場所から動いておらず、身体の方向が南のベランダに向いて、仁王立ちしているのは珍しい行動だな、と思った。
飼い犬が人に対して背を向けているという行動は、珍しい。
犬って普段は家族、特に母とか父とか特定のお気に入りのそばに張り付いて共に行動することが多く、例え距離は離れて居たとしても、顔は必ず家族の方向に向いているものなので、こういう超個人的な振る舞いというのはなかなか見られない気がする。
なので、さすがにもう一回畳の間を覗いた時にまったく同じ行為を数分間も続けているのはおかしいことだとわたしも察した、そこでメリ子ちゃん(パンくんと一つ違いの妹)がこの家の中から消えてるということに気がついた。
パンくんは必死でそのことをわたしたち家族に伝えようとしていたのだ。
こりゃ大変!と、締め切られたベランダの鍵を開けてやろうと、窓の向こうを覗いたらそこには、とっくの昔にすべてを諦めたのであろう、哀愁の漂う小さな背中をこちら側に向けて、ぺたりと地面に座り込み、柵の間に顎を置いて、ベランダから外の景色をボーと眺めていたメリ子ちゃんの姿が。
先述の通り、普段は家族と混じって共に行動することが多いので、こういうたったひとりきりの振る舞いをしている愛犬を見れることってほんとうに希なことで、何かを一人で想い、それに馳せている姿というのはめちゃくちゃ可愛くて、あぁ、こいつも孤独に何かを感じることがあるのだな、と思わされる瞬間にはおもわずキュンとさせられるのです。
メリ子の哀愁の後ろ姿に、可愛いっ!写真撮らなきゃ!!と思ったのと、メリ子!と名前を呼んでしまったのが同時であったため、すぐさまこちら側にすっ飛んで来てしまったので、実に惜しいことをしたと、後悔した次第。
・・・また同じシチュエーションを作るためにはまた二人にか過酷な思いをさせなければならないけど、どうしよ。もっかいだけ・・・。
今日は特別営業です!明日成人の日はお休みです!